仁徳天皇陵調査について一古代史ファンとして書いた

注:私は大学の専門は情報工学であり、仕事でも歴史に関する仕事はしておりません。歴史については完全に素人です。この文章は勢いで書いています。

天皇陵や古墳について

古代の天皇の天皇陵の場所については日本書紀・古事記に記述があります。しかし記述されている天皇陵が実際のどこの古墳を指しているのか、いつの間にかわからなくなっていました。

特に日本における天皇の威厳は常に保たれていたわけではありません。日本史上、鎌倉時代・室町時代・戦国時代・江戸時代と時代を経るごとに天皇の威厳は低下していきました。

天皇の威厳や影響力が低下するに従い、天皇陵に対する管理は杜撰になっていきます。他の古墳は言わずもがなです。そのため古墳によっては上に道路を作られたり、一部を田畑にされた例もあります。

天皇陵以外の多くの古墳は過去に盗掘を受けており、一部の天皇陵に関しても盗掘された記録が残っています。内部の調査をしなければわかりませんが、おそらくほぼ全ての天皇陵は盗掘を受けていると考えられます。

実際今回調査が決まった仁徳天皇陵の出土品とされる品がボストン美術館に展示されています。本物かどうかは不明ですが、幕末か明治初期にどこかの古墳から盗掘されたものが海外に売られたものでしょう。

明治時代に無理矢理決められた天皇陵

江戸幕府の幕末に尊皇思想が盛り上がり、日本書紀・古事記に記述された天皇陵の比定地を決める作業が始まります。その調査結果などを踏まえ、明治政府が比定したのが現在の天皇陵です。

しかし当時の考古学的知見で比定されたものなので、現在でも確実にその天皇陵であると断定されているものは少ないです。現在確実視されているものは当時としては外れに作られた天智天皇陵、過去に盗掘にあったことで内部の構造に関する記述が残る天武・持統天皇陵の2つしかないと言われています。

しかし古墳があるということはそこには誰かの墓であるはずです。一つ一つ調べていけばどの時代に作られた墓かが分かり、被葬者が誰かも分かるはずです。

時代がずれている日本書紀

日本書紀には神武天皇の即位日が紀元前660年1月1日だと記述されています。これを現在の暦に合わせると2/11になるため、その日が建国記念日になりました。しかし紀元前660年は日本ではまだ縄文時代であり、この時に神武天皇が即位したとは考えにくいとされています。
そのため日本書紀の記述は全て嘘だとする短絡的な考え方もあります。もし本当だったと仮定しても、時代がずれていることは確実です。

この時代のずれが解消するのは存在が確実視されている雄略天皇であると見られています。つまりそれよりも前の天皇については寿命が不当に長くされているなどして、時代がずらされている可能性が高いです。

つまり雄略天皇よりも前の天皇である仁徳天皇などの実際の活動時期などは不明です。仁徳天皇陵が本当に仁徳天皇の陵墓なのかは不明ですが、全ての天皇陵の発掘が進み、作られた年代が分かればどの天皇の陵墓か、それぞれの天皇の実際の活動時期はいつかなどが分かるはずです。

そうすれば日本書紀の年代がどの程度ずれており、どの程度記述が事実なのかが分かるはずです。

従来日本の古代史は魏志倭人伝に記述された卑弥呼から始まり、中国の歴史書の記述がなくなった4世紀は記録がないことから空白の4世紀と言われています。
しかしそれは本来誤りのはずです。なぜならば日本書紀に記述されている天皇がそれぞれどの時代に活動したのかが分かれば、4世紀に何が起こったのかが日本書紀の記述から分かるはずだからです。

しかしこれは以下の理由から歴史の教科書に載ることはありませんでした。

  • 日本書紀の記述が本当である保証がない

これらは天皇陵の調査により、解決できると私は期待しています。

大和朝廷はどのようにして成立したのか

大和朝廷の成立には謎が多いです。通常、国家の統一には大量の戦争により行われるのが世界史を考えると普通です。
しかし考古学上、そこまでの大規模な戦争が大和朝廷の成立時に起こった形跡は現在のところ見つかっていません。

日本書紀・古事記の記述を考えてみても言えます。神武天皇が現在の宮崎県から奈良県の方まで征服したとされる神武東征ですが、神武東征ではその過程で通った北九州や山陽地方では戦争をしたという話が残っていません。
戦争したとされるのは近畿地方のみで、それも相手の寝返りにより決着しているため、全員を殺したわけではなくあくまでも一部の反抗勢力を制圧したという話です。

また昨今のマスコミから卑弥呼の墓と呼ばれている箸墓古墳の調査では全国の土器が集まっていたことが分かっており、各地の勢力が平和的に融合した可能性を示しています。

私が仁徳天皇陵の調査を歓迎する理由

宮内庁が調査を許可した遺跡に箸墓古墳があります。

箸墓古墳は天皇陵ではありませんが、皇族(第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命)の陵墓であることが日本書紀に記述されているため、宮内庁管理になっていて立ち入りが禁止されています。しかし過去に宮内庁の許可をもらい調査されています。
これは歴史的意義が極めて大きい古墳であり、かつ天皇陵ではなかったため抵抗が少なかったことが大きいでしょう。

今回は箸墓古墳に続く大型な調査事例です。知名度も高く、歴史的意義が大きい古墳を確実に調査することで、古代の天皇全ての天皇陵の発掘を行える可能性が濃厚になります。これで謎が多いとされている日本の古代史の謎の大部分が解けることでしょう。期待が高まります。

個人的には箸墓古墳ももっと奥まで徹底的に調査して欲しいところです。箸墓古墳はまだまだ発見があるはずです。他の天皇陵についても同様です。

宮内庁が指定する陵墓の中には神代三陵と呼ばれる神武天皇の先祖で神として記述されているニニギなどの陵墓も指定されています。また陵墓参考地として天皇陵かもしれない古墳までも指定されています。

それらの古墳を含めて全ての古墳を調査すれば、どれが誰の陵墓かが分かり、それぞれの天皇の活動時期が正確に分かり、大和朝廷の成立過程が分かります。私が長年、天皇陵の調査をすべきだと個人的に主張し続けてきた理由がここにあります。

一古代史ファンとして、これからの調査が楽しみでなりません。

将来の夢は隠居です

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